迷光亭冬雀日記

思いつくまま、気の向くまま。行く先もわからぬまま。

震える。ペンを持つ手が、キーを打つ手が。

さて。

せっかく読んでくれる(だろう)ひとたちには、まことに申し訳ないのではあるが、この日記は、いきなり自己言及的な記述から始めることとなる。これを通過しなければ、やはり書けないのだ、私は。すなわち、「なぜ、書くのか」ということ。

書くからには、読み手の存在を念頭に置かなければならない。それでは、私は何を読む人に「求め/与え」たいと願うのか?メッセージか?コミュニケーションか?なのに、それが何かを具体的に「ことば」に置き換えることが、今の私には、うまくできない。ことばの連なりだけで、内容の無い物を書き散らそうとしているだけなのかも知れない。ただの自己顕示欲なのか?書きたいものを提示できないまま、書き始めてしまった私は、無謀でハタ迷惑なのかも知れない。

だが、私は、それでも「書くこと」を選んだ。

「読み手」としての自分に飽き足らず、「書き手」となることへの未練を捨て去ることもできず、こうして、いま、書いている。

たとえ、メッセージにならなくてもいい。コミュニケーションの体裁が整わなくてもいい。ただ、書くことを通じて、自分を分析し、誰かに私という人間を理解してもらいたい。たとえ、このみじめな跳躍が、哀れな墜落になろうとも、私は「他者」と「世界」へと手を伸ばすことをあきらめない。

これが、つまるところ、私が「書く」ことの動機だ。それは、祈りのようなものだ。

私は、「他者」と「世界」を欲する。その絆が「書くこと」だ。

みなさん、どうぞ、よろしくお付き合いくださいませ。