迷光亭冬雀日記

思いつくまま、気の向くまま。行く先もわからぬまま。

本当に面白い、ってなんでしょうね

 えっと、最近、ぱっとしません。

 とはいえ、グチってみてもやるせないので、人生どうすれば「面白く」できるのかなあ、なんてことをダラダラ考えてみます。

 実を言うと、私、「端的に言って、人生とは無意味である」、なんて考えています。でも、あまりショック受けないでください。だけど、一方で「それでも生きてみるだけの価値はある」とも考えています。

 人が生きる意味って、ただ、のんべんだらりと生きてるだけではわかんないものなのかなと。意味を「求め」たり、「信じる」ことではじめて見つかるものなんじゃないのかなと。生きることの「能動性」が大事なんだろうなと思います。「人生という舞台で、自分が主役になる」(アラン『幸福論』にそんなこと書いてありました)ってことですね。

 で、これをふまえて、どうすれば納得のいく「人生の芝居」ができるのかが問題になるかと。

 ひとつには、ひとから称賛されること。またひとつには、ちからを出し切ること。あるいは、演じること自体を楽しむこと。まだまだ他にも人それぞれいろんな価値の見い出し方があるかと思います。そういえば、マズロー欲求段階説、なんてのも話題になったことありますね。

 私の場合は、「面白い」かどうかが、人生の意味をジャッジするときの判断基準になっているようです。

 あることをおこなうに際し、それに「目的」があるなしとか、「損得」があるなしといったことには無頓着です。「面白い」と思えれば、基本OKです。

 楽天的すぎるのかもしれませんが、裏を返すと、「面白くない」と感じてしまったら、何もかも投げ出してしまいたくなります。

 目下のところ、仕事のほうは、日々の糧を得るための大事ではあるが手段のひとつと割り切って、勉強(放送大学での社会科学系科目)に意義を見い出そうとしてます。

 ただ、「面白主義」だけでは、勉強のモチベーションを維持するのは大変なのですね…。学ぶ楽しみはあるのだけれど、全ての科目についてではないし、仕事で疲れてたりすると、なおざりになっちゃったりします。

 そこで、冒頭の、「面白い」って何?という問いに至るわけです。

 最初の純然たる「面白い」が、鈍磨していくと、やがて惰性になり、結局「飽きた」でフィニッシュしてしまうのでしょうか。…なんか、私の人生、その繰り返しばかりだったような気がしてきましたっ?!

 いかんいかん、悠長にブログ書いてる場合じゃないかも!

 本当に「面白く」生きるためには、やっぱり「対価」が必要かも?しかもそれって「日々の積み重ね」とか、「努力」なんじゃないか、と、ここで突然に天からの啓示のように思えてきたー!

 すいません、考え方、もっと「しゃきっと」させます。反省反省。

 なんとなく、考えもなしに書き始めてしまっていたけど、凡庸ながら大事なことに気がつきました。「継続は力なり」、ですよね?

 とてつもなく脈絡のない文章で、読んでくれたひとには誠に申し訳ないです。

 明日から(「今から」でないのも私らしさとお考えください)、仕切りなおしますっっ!!