迷光亭冬雀日記

思いつくまま、気の向くまま。行く先もわからぬまま。

三鷹 My Love

東京生まれ東京育ちで「田舎」というものを私は持っていない。
小学生の頃、夏休みに田舎に帰省する同級生たちがうらやましかった。
しかしながら、そんな私にも、田舎とは言えないほどのものではあるのだが、「田舎」らしき場所があった。それは、母方の祖父母が住んでいた三鷹である。
上連雀の平屋の都営住宅は、2Kと庭があり、その庭には祖父が自分で建てた離れがあり、これまた祖父が自分で掘った池もあった。
母屋の部屋の畳に寝転んで、夏の昼さがりに半ばまどろんでいると、調布飛行場から飛び立つセスナのプロペラ音が、ぶうーんとして、子どもの私は何とも言えないのんびりとした気持ちになるのであった。
お正月には、都営住宅の敷地内の広場で凧揚げもした。ただ、その広場の直上には送電線が走っていたので、あまり高くは揚げられなかった。もっとも、チャーリー・ブラウンよろしく、私の凧は滅多に揚がらなかったので気づかいは無用なのであった。
この祖父母の家を根城にして、お出かけ好きの祖父に連れられて、深大寺の釣り堀や、井の頭自然文化園へ繰り出していた(ちなみに祖母は自然文化園の切符売り場で働いていた)。
こうしてみると、私は自分でも意外なのであるが、灰色一色だったように思っていた私の少年時代にも、ビビッドなカラフルな記憶が存在していたことに気づいて驚く。
三鷹、マイラブ。