2017年上半期オレ様的映画賞!!!
いきなりで、ホントすまないのですが、今年の映画界、洋邦問わず、良作多いので、「オレ様的映画賞」発表いたします!
【2017年上半期オレ様的映画賞】
大賞 『メッセージ』
作品賞『光をくれた人』
主演男優賞 ジャン・デュジャルダン 『おとなの恋の測り方』
主演女優賞 エマ・ストーン 『ラ・ラ・ランド』
監督賞 ドゥニ・ヴィルヌーヴ 『メッセージ』
日本語映画賞 『美しい星』
長編アニメ映画賞 『夜は短し歩けよ乙女』
音楽賞 『T2 トレインスポッティング』
新人賞 エラ・バレンタイン 『赤毛のアン』
永世名誉監督賞 ティム・バートン
いかがでしょうか?
あなたの、2017年上半期、「これは!」と思った作品とかぶりましたか?少しもかぶりませんでしたか?
やっぱり、映画って本当に面白いですね!
それでは、
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!
三鷹 My Love
東京生まれ東京育ちで「田舎」というものを私は持っていない。
小学生の頃、夏休みに田舎に帰省する同級生たちがうらやましかった。
しかしながら、そんな私にも、田舎とは言えないほどのものではあるのだが、「田舎」らしき場所があった。それは、母方の祖父母が住んでいた三鷹である。
上連雀の平屋の都営住宅は、2Kと庭があり、その庭には祖父が自分で建てた離れがあり、これまた祖父が自分で掘った池もあった。
母屋の部屋の畳に寝転んで、夏の昼さがりに半ばまどろんでいると、調布飛行場から飛び立つセスナのプロペラ音が、ぶうーんとして、子どもの私は何とも言えないのんびりとした気持ちになるのであった。
お正月には、都営住宅の敷地内の広場で凧揚げもした。ただ、その広場の直上には送電線が走っていたので、あまり高くは揚げられなかった。もっとも、チャーリー・ブラウンよろしく、私の凧は滅多に揚がらなかったので気づかいは無用なのであった。
この祖父母の家を根城にして、お出かけ好きの祖父に連れられて、深大寺の釣り堀や、井の頭自然文化園へ繰り出していた(ちなみに祖母は自然文化園の切符売り場で働いていた)。
こうしてみると、私は自分でも意外なのであるが、灰色一色だったように思っていた私の少年時代にも、ビビッドなカラフルな記憶が存在していたことに気づいて驚く。
三鷹、マイラブ。
屋上バカンス
向日葵の名前
恥ずかしながら、自分を花に例えると、ヒマワリだと自称している。
本を燃やしたこと、ありますか?
あなたは、本を燃やしたことがありますか?
デブが陽気で、何が悪い?
デブになって、よかった。
自分のみっともなさを、すなおに受け入れられるようになった。
ムダにカッコつける虚栄心が、ずいぶんうすまった。
三度のメシが、うまくて、楽しいことに、単純に喜べるようになった。
そりゃまあ、階段のぼるだけで息が切れるとか、セレクトショップでサイズが無いとか、夏の太陽がこわいとか、嬉しくないことは多々ある。
そりゃまあ、痩せていれば、見映えもいいし、健康上の不安も少ない。
が、現にデブである私が、デブを嘆いたところで、痩せるわけではない。ましてや、デブな自分はダメなんだ、デブにはひとから愛される資格は無いんだ、などと思いこむ必然性も全く無い。
ヤセにはヤセの、中肉中背には中肉中背の幸せな生き方があるように、デブにはデブの幸福があるはずだ(たぶん)。
障害者運動で「障害は、個性だ」、と表現することがあるように、「デブは、個性だ」、と言えないだろうか?
そもそも、ひとがひととしての尊厳を認められるために、なにがしかの特別な条件(美しくあらねばならない、賢くあらねばならない、正しくあらねばならない、とかね)など必要ない、と私は考えるのだ。
ただ、そのままでいい。
デブを、ひらきなおってるんじゃないよ。あるがままなり。
「陰気なデブ」とは、あなたも友だちにはなりたくないでしょ?
だから、陽気で行こう!
そうだ、あなたもデブになってみませんか?!もう人生観、ぶっ飛んじゃうかもよ?!