迷光亭冬雀日記

思いつくまま、気の向くまま。行く先もわからぬまま。

定点観測

8月初めから仕事が50日間の夏休みに入ったので、暇を持て余さないように、自分で「個人的な自由研究」をすることにした。それが自宅近所から見た空の写真を撮ること。

撮影する場所と方角・画角を一定に決めて、時刻については定時を定めた方が良いのだけど、そこまで条件にこだわって途中で辛くなってやめてしまっては元も子もないので、適当な時刻に行うことにした。期間は2023年8月1日から8月31まで。

 

今日で5日目(8/5)なのだけれど、なんかこう、「定点観測の心構え」みたいなそんな姿勢というか考え方が出始めてきた。

普通、空の写真を撮る、というと、まず自分の中にある「理想的な空」のイメージを抱いて、そのイメージに沿うような空の写真を撮ってしまいがちなんじゃないかと思う。「モクモクの入道雲」とか「抜けるような雲ひとつない鮮やかな青空」とか「雲の切れ間から光の柱が伸びている」とか。逆に「どんよりと立ち込める雲」なんかは避けられるっぽい。

でも、ぼくが今撮っているようなズボラ定点観測だと、一日一回・いつも通りのおさだまりの場所に行き、1回だけ・一発勝負でシャッターを切って、加工も何もしないで iPad の指定したフォルダ(「八月の空空」というフォルダ名にした)に放り込むだけ。

そうすると、「うまく写真を撮ろう」みたいな「我」への固執があまりなくなってくる。

「きれいに撮れない」とか「今日の空はイマイチだ」なんて思わなくなってくる(たった5日で何を偉そうに、と思った人。はい、おおせの通りでございます)。ただ、撮ってるだけ、の状態。

 

一つのところにとどまって、毎日同じことの繰り返し。普通、「そんなのは嫌だ」と思うでしょう?でも、ぼくは「それもまたよし」と、「定点観測」を通じて思えてくるのです。雨が降ろうが風が吹こうが、ただ自分の目的に沿って(あるいは目的なんかなくたって)ぼつぼつと過ごす日々。「悟り」とか「平常心」とか、そんな大袈裟なものでなくて、トボトボと歩んでいく日々。

もちろん、万人向けの生き方・人生観ではないだろうけど、ぼくにはこんな生き方が向いているような気もするのです。

 

たった5日でこんな心境になるのだから、今月末(8/31)には、どんな気持ちになっているだろうと思うとワクワクする!

みなさんにも「定点観測」オススメします!

 

(あと、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』、今読んだら心に染みるかもしれない?!)