迷光亭冬雀日記

思いつくまま、気の向くまま。行く先もわからぬまま。

デブが陽気で、何が悪い?

デブになって、よかった。
自分のみっともなさを、すなおに受け入れられるようになった。
ムダにカッコつける虚栄心が、ずいぶんうすまった。
三度のメシが、うまくて、楽しいことに、単純に喜べるようになった。
そりゃまあ、階段のぼるだけで息が切れるとか、セレクトショップでサイズが無いとか、夏の太陽がこわいとか、嬉しくないことは多々ある。
そりゃまあ、痩せていれば、見映えもいいし、健康上の不安も少ない。
が、現にデブである私が、デブを嘆いたところで、痩せるわけではない。ましてや、デブな自分はダメなんだ、デブにはひとから愛される資格は無いんだ、などと思いこむ必然性も全く無い。
ヤセにはヤセの、中肉中背には中肉中背の幸せな生き方があるように、デブにはデブの幸福があるはずだ(たぶん)。
障害者運動で「障害は、個性だ」、と表現することがあるように、「デブは、個性だ」、と言えないだろうか?
そもそも、ひとがひととしての尊厳を認められるために、なにがしかの特別な条件(美しくあらねばならない、賢くあらねばならない、正しくあらねばならない、とかね)など必要ない、と私は考えるのだ。
ただ、そのままでいい。
デブを、ひらきなおってるんじゃないよ。あるがままなり。
「陰気なデブ」とは、あなたも友だちにはなりたくないでしょ?
だから、陽気で行こう!
そうだ、あなたもデブになってみませんか?!もう人生観、ぶっ飛んじゃうかもよ?!