迷光亭冬雀日記

思いつくまま、気の向くまま。行く先もわからぬまま。

男子、四十(のちょっと手前)。

 NHKのドラマ、『第二楽章』の予告を見て、自分の事を考える。今年、39、来年、40。

 件のドラマは未視聴なので、ドラマの話はしない。ただ、自分も「アラフォー」なんだなぁ、と思い、ただ、あぁ、と思う。

 一昨年から去年にかけて、「やりたいことがあるなら、いましかない!」と、やりたかったことに片端から手をつけていった。SNSを始める、ウオーキング、低山ハイク、旅行、写真、放送大学、文藝教室ちえのわ、そしてこのブログ。目の前の「リアル仕事」にも必死でくらいついていった(つもり)。

 今年は、「広げ過ぎた風呂敷をたたむ」方針で、やるべきことは継続し、やらなくてもいいことは打ち捨てる、はずだった。が、やるべきことは息も絶え絶え、やらなくてもいいことにまで貪欲に手をのばす、といった具合で、年初、書き初めにもした「吾唯知足(われただたるをしる)」なんてこと、「全然できてないじゃ~ん」というところ。

 40前の焦燥感にかられた、何ともイタい自分である。

 ただ、時間というのは、ひたひたと過ぎ去ってゆく。どれだけ抗おうとしても、歳はとってゆく。

 今、私が思うのは、「ちゃんとした、おっさん」になるということだ。ここで「ちゃんとした」というのは、「立派な」、「しっかりとした」という意味では無く、それよりも「ありのまま」、「いつわらざる」という意味で、である。

 中学の卒業文集のことを思い出す。「30年後の自分」という題目だったが、私はそこで「暗い」将来像しか画けなっかった。唯一、「今を生きる」ことを目標としたい、と締めくくっていることが救いになっているかどうか、といった感じの文章だった。それから20余年。「現実」の自分はどうか?予想した以上に「ショボい」人生だが、「暗さ」はあまりない。悩みが無いわけではないが、中学時代の日々に比べれば、「ラクショー」な毎日だ。まさに「案ずるより産むが易し」。

 10代後半のころは、30歳を過ぎれば「こんなオレでも、オトナの男になって、モテまくり」なんじゃないかと夢想した。結果は、皆さんお察しの通り、「独身・実家住まい・非正規・非モテ」のていたらくであるwww

 結局のところ、人生(ここまで生きてきた限り)、「なるようになる」。裏を返せば「なるようにしかならない」。

 目の前の現実を、真正面から、そして「ゆるり」と受けとめよう。

 そして、「諦観」と「希望」をともに携えて、私は「おっさん」になろう。

 やりたいことはやっていけばいいし、できなかったとしても、やけを起こさない。

 振り切った生き方をしたいが、振り切れないことも良しとする。

 「妥協」と「矛盾」と「だらしなさ」を抱えた、「この自分」で、生きてやる。

 「これでいいのだ!」と、心の底から自信を持って言えるようになりたい。