迷光亭冬雀日記

思いつくまま、気の向くまま。行く先もわからぬまま。

すべてがちょっとずつ嬉しい世界

元来、ひとの人生というのは、不幸なのだと思う。

しかし、にもかかわらず、うかつにも、「幸せだなあ」とか、「嬉しいなあ」とか感じてしまう瞬間が、日常のさなかにしばしばいかんともしがたくあるわけで。

それは、ふと見上げた空のブルーやオレンジに、じーんとなったり。街中でふいにかいだ、カレーの匂いだったり。カーラジオから、懐かしい、お気に入りの曲が流れてきたり。風呂で温まって、その後に飲む、カルピスソーダの「ぷはあ!」とか、あと他にもなんやかや。

そんなときに、「生きているのが嬉しいなあ」と、しみじみ思うのですよ。錯覚に過ぎないと言われるかもしれないけれど。
これって、不幸しかない人生に、ひとが耐えきれないからこそ、神様から人類に与えられた、あるいは人類自身があみだした、「嬉しい」という能力なんじゃないかとか考えちゃうのですよ。
で、そうして、「嬉しい」とか、「楽しい」とか、そんな気持ちを少しずつでも重ねていけたら、私たちはこの先もきっと大丈夫なんじゃないかと思えるのです。なかば確信にも似た思いとして。つらいことや、悲しいことがあったとしても。
私たちがすべきことは、「嬉しい」の感受性を鋭敏にしていくこと。人生をサヴァイヴしてゆくために。
すべてが、ちょっとずつ、嬉しい。そんな世界で。