はるのひに。
ひととひととが、おなじところ、おなじじかんを、
ともにすごすこと。
お茶をのんだり、ケーキをたべたり、
お酒をのんだり、やきとりたべたり、
おしゃべりしたり、音楽きいたり、
おおごえでうたったり、パチンコしたり、
映画をみたり、絵画をみたり、
だきあったり、キスしたり、、、
そぉんなすてきな、「ふようふきゅう」が、
へんなみみざわりの、「じしゅくようせい」に、
ぜーんぶ、さらわれちゃったんだぁ…。
じしんがきたわけじゃないのに、
つなみがきたわけじゃないのに、
そして、ほんとうは、
「うぃるす」のせいってわけだけでもないはずなのに…。
ああ、あのひとや、かのひと、
きもちのいいひと、にっくたらしいひとにさえ、
ひととひととが、つばがかかる、いきのふれあう、
じかにこえのきこえる、めくばせしあう、
そんなちかしい、「しんみつなきょり」で、
ひととあえていた、そんなしあわせ。
そういうまいにちが、またきてほしい。
ほんとうは、いちねんでいちばんこころよいはずの、
はるのひに。
ハートフィールド、またたび……
道徳の教科書なんかいらない!
正直に言って、あまり自分を善人だと思えたためしがない。いや、それならば悪人だと思っているのかというとそんなこともないのだが。
ただ、ことばにするならば、ある種の「道徳の過剰さ」とでも言うべきものにうんざりしている節はある。
もう少し具体的に言えば、道徳を人の生きる上での指針として掲げるのならばまだ良いが、ガチガチの規範にしてみたり、反道徳的とみなした他人をフルボッコにするための棍棒として使用したり、道徳性を追求し過ぎて人間性まで抑圧する、そのような道徳のあり方に辟易するのだ。
例えば「道徳の教科書」のような歌や物語が、ほんとうに人のこころをふるわせることがあるだろうか?僕は極めて疑わしいと思う。ならば、「道徳の教科書」のような生き方で、ほんとうに他者とこころを通わせることができるだろうか?こちらもやはり僕は極めて疑わしいと思う。
古典的な哲学は「真・善・美」を探求したのだろう。でも僕が惹かれるのは「実存」についての哲学だ。
特別、学問的な関心からそのような志向になったわけではなく、現に存在している僕が、早い話、生きづらさを感じているからだけのことなのだが。
僕は実存的な僕のありようを、ただあるがままに肯定したいと思う。自分がこのような自分であることに躊躇しないようになろうと思う。良い意味での自分本意に生きて行きたい。
そしてその先に、自分とは異なる、別の可能的人生を送っている「他者」と、部分的にだけでも良い、こころを通わせたい。
ならば、自分を尊ぶのと同時に他者も尊ぶのだ。ある人の生を尊重するのに特別な条件など必要ないのだ。
論旨がずいぶん遠回りした。「生」、あるいは「人間性」を抜きにして道徳を語るべきではないのだ。道徳は人間の「鋳型」ではなく、「衣服」であるべきだ。型にはめるものではなく、身にまとうものだ。主体はあくまでも人間なのであって道徳ではない。
このとき、「人間」とは善なのか悪なのか?誰が善悪の「裁きつかさ」になれる資格があるのか?少なくとも「道徳の教科書」は「法典」とはならないだろう。善にも悪にもなれるのが人間。いやむしろ善と悪が共存しているのが人間。「道徳の教科書」の出番は無い。しいて言えば、常識的なマナー本としての役割以外には。
真の道徳とは、人間の割り切れなさへの感覚を持ちながら、同時にちったぁマシな人と人との営みを優しく見守るまなざしのようなものであるべきで、実にそうあってほしい。
僕は善人でも悪人でもなく、「にんげん」として生きて行く。「道徳の教科書」ではなく、「やさしいまなざし」とともに。
(この文章をここまで読んでくれたみなさんを驚かせることになるが、この文章は『天気の子』と『ジョーカー』を観てモヤモヤ考えた末に書かれている。もはやふたつの映画との接点がどこにあるのかわからなくなってしまったが。でも、そのふたつの映画とあながち無関係と言いきれないようにも思える。以上、蛇足)
自分をはげますことば、思いつくだけ書き出してみた。
・人生の正解を求めることが人生の目的ではない。
・楽しいこと、嬉しいことを大切に。
・常に正しくなければいけないわけではない。
・失敗するのは避けきれない。次からどうすればいいかを考えよう。
・「死にたい」気持ちは仕方ないが、もっと具体的に自分の気持ちを説明しよう。
・周りに迷惑をかけるのはよくないが、自分を責めすぎるのもよくない。
・「うまく生きる」ことができないのは当たり前。これまでも「ヘタな生き方」で生きてきた。だから焦ることはない。
・どうあがいても、「この自分」と生きていくしかない。あわてて絶望しない。
・カッコつけなくていい。必要以上に自分を良く見せなくていい。
・ダメな自分を認めた上で、出来ることを積み重ねていこう。
・「今の自分」が全てではない。「これまでの自分」や「これからの自分」にも目を向けよう。
・「自分、自分…!」と思い詰めない。自然な「流れ」に身をまかせてもいい。
・長い目で見たら、「時間」はきっと味方だ。
・今、今、今!「いま」の気持ちや感じを、大切に…!
・「汝の欲することをなせ」
君が僕を変えてしまったいくつかのこと
君は僕のものの見方を変えてしまった
地下鉄は外の景色が見えないから好きじゃないと言う僕に
地下鉄の駅から出たときの街の風景の驚きを
君は教えてくれた
君は僕の世界の感じ方を変えてしまった
ただぼんやりと夕暮れの空を眺めているのが好きだった僕に
夕暮れの空が青からオレンジへそして漆黒へするするとうつろっていくことの不思議さを
君は気づかせてくれた
君は僕の舌と鼻を変えてしまった
コーヒーの刺激的な苦みとアロマを楽しんでいた僕を
紅茶の優しい渋みとフレーバー好みの人間に
君は作り変えてくれた
そして君は僕の夜のやり過ごしかたを変えてしまった
ベッドの上でひとり横たわり君のことを思いながら満ち足りた気分で眠りにつく僕を
キッチンでひとりウイスキーを飲みながらシナトラを立ったまま聴いている男に
君は成長させてくれた